turedure-note

どんな世界を奏でようか。わたしの目に耳に心に映る事々。

目的は作らないほうがいい。

決してやさぐれてる訳じゃない…。

面白いのは、最近FB投稿の傾向が変わった内容のものだけ、いいね!が減ってきている… ような気がする。気のせいかもしれない…。

いいね!が頻発する投稿は「感謝」「ご縁」「繋がり」など愛溢れる投稿。

それに反していいね!が半分以下に減る、1桁とか…(笑) の投稿は見る人からすれば若干やさぐれ系の世の中斜め横に構えた「ふざけんな、コノヤロー!」の毒出し投稿の匂いがするもの。

 

みんながクリーンなのか、見ないようにしているのか、単に興味が無いのか分からないけれども。

毒が最高に面白いと思う私は相当面倒くさいやつなのかもしれない(今に始まったことじゃない。)

 

まぁ、たしかに。

愛とか温かさとかって分かりやすいんだよな。

LOVEを感じる投稿に触れてるときって、ふわぁ~~と心も身体も中から歓びのバイブレーションが滲み出る感じがして気持ちよい。

それに究極を言えば人間は愛から生まれた生き物だし、愛から発するものにアンテナが立ちやすいように出来ている気もする。

 

人間って愛に飢えてるのかな、と思うときがある。

愛がほしい! 愛をくれ! 私を、私を愛してくれーー!! と

周りの人に、地球人に呼び掛けている人、誰? 私?(笑) …きっと多いよね。

それが駄目とも思ってないし、癒されるから愛溢れる投稿読んだりしてるけど…

これだけは言える…。

その類の投稿を読み漁っているときの自分って、相当お疲れモードになってる。

地に足がついてなくて、不安で不安で、隙間だらけのぼこぼこな自分で…

隙間風がめっちゃ身体に凍みるぅ~~!ってとき。

その隙間を埋めてほしくて、安心が欲しくて、母性を求めてどこかに宿るのさ。

そしてちょっとばかし、そこで休ませてもらって回復したらまた旅に出るのよ。

 

でも… でもね…

最近、分かりやすい愛に触れるだけが歓びの境地に入れるわけじゃない、って体験をしてしまった。

一時の愛のように感じるものって、例えば局所的で麻薬のような中毒性があって、不安になるとむさぼりたくなるようなもの。

そうじゃなくて、むしろ真逆のシチュエーションでそれは起こった。

そう真逆。愛はもっと複雑で分かりにくいところに存在するんだと思った。

愛を手渡す人が居て、受け取る人が居る、とかって分かりやすくないもの。

互いのエネルギーが上手いこと入り混じって、化学反応を起こすようなそんな体験だった。

 

なんだったんだろう… あの体験は。

たぶん、双方に最高潮のエネルギーをぶつけ合ったと思う。

互いがマーブル状に入り乱れたあの日。

ボルテックス。

まさに、この言葉がぴったり。

そう、あれは正にボルテックスの渦中にいた。

 

良く分からないものを相手にぶち込む。

そして相手も形にならない何かをぶち込んで。

そうやって作ったエネルギーフィールドは史上最高のショックを私に与えたのだった。

 

「目的は作らないほうがいい。」

 

何も無いからこそ、何かが生まれるんだ。