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どんな世界を奏でようか。わたしの目に耳に心に映る事々。

この世界の移ろいを心ゆくままに…。

美しいなぁ… と思わず呟きたくなるほど、何かを見たり、聴いたり、感じたことは最近ありますか?
私は、というか特に日本の方は「美しい」と感じられるセンサーをご先祖様から代々受け継いでいるような気がするのです。
 春に花たちが一斉に目を覚まし、初夏を迎えるころに散っていく花たち。
最近は遅咲きの八重桜も花びらが散り、薄桃色の花じゅうたんが道路を彩っています。
室町時代の方々はそんな四季折々の情景を、時には物哀しく、時には愁いを込めて和歌をしたためていましたね。
なにもない空間になにかがある、と感じられる心は一種の豊かさの現れだとも感じます。
日本人の所作の美しさや間の取り方の美しさはその頃から引き継がれたものなのでしょうかね。
侘び寂び、という言葉について改めて調べてみましたら、なんとも日本人らしい感性を感じた文章がありましたのでご紹介します。
「さびは、見た目の美しさについての言葉です。この世のものは、経年変化によって、さびれたり、汚れたり、欠けたりします。一般的には劣化とみなされますが、逆に、その変化が織りなす、多様で独特な美しさをさびといいます。
一方、わびは、さびれや汚れを受け入れ、楽しもうとするポジティブな心についての言葉です。つまり、さびの美しさを見出す心がわびなんです」
 一方、からのところ、二重線を引きたくなるのは私だけでしょうか?(→引きましたw)
汚れや欠けを受け入れ、それすらも楽しもうとするその豊かな感性。
「清濁併せ吞む」という言葉もどちらか一方を切り捨てるのではなく、物事の両面を受け入れようとする、日本人の懐の広さを感じる言葉です。
すき間があってもいい。
見つからない答えがあっていい。
正解がなくてもいい。
みんな同じにならなくてもいい。
哀しくてもいい。
愁いてもいい。
秘めたっていい。 
そんな心の移ろいを楽しみたくて生まれてきたのですから。
 
写真は先日参加してきた水墨画ワークショップで描いてきた龍画。
筆の水含み、墨汁の濃淡で様々な表現ができるという体験をしてきました。 
たった一色の墨なのに色んな表情がつけられて…。
真っ白な和紙の上に尺八のかすれ音を聞きながら、筆、墨、音で遊ぶ時間。
必要なのは内側にある温度でどんな風に遊ぶか。
楽しいひと時でした♪
 

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